2015年5月6日水曜日

「縫う」を「かんがえる」
















完成に至るまでのそれぞれの作業に没頭できること。

そもそも自分にそんなスキルがあったっけ?と、いうことや、
果たしてそのパターンは自分に合っているのか?
サイズだの形だの、加えて自分の現在のあらゆる属性に追加可能な要素なのかどうか?
それをOKとして選んだ場合にどんな生地を使うのか?
(この生地を着たいからパターンを選ぶ、というプロセスが前後することもある)
自分にとってベスト(かもしれない)ウエストの位置ってどこなんだよとか、
7分丈と表示してあるのになんで私がそのまま作ると5分丈の袖になっちゃうのよとか。

「FlutteringでMany Compliments」なものが「Worked for Me」なんすか?

ここまででも相当自分に問いかけ考える「コントロールライン」が数点。

選ぶ作業満載でようやく・・・


初めての生地に「でりゃあああ」と鋏を入れる思い切り具合はその最たる瞬間だと思う。

もちろん裁断するだけじゃ終わってないからなあ・・


睡眠時間を削ってまで(これはあまりよくない)考えて手を動かして、
さてさながら「進水式」という気分で着用しお外へ出ていく。

なんなんでしょうね、このテンションは。

わかっているのは、コントロールライン通過までの思考は、気持ちがとっちらかってる時は
「ダメ」だなあということ。
もちろん、自分の「好き」探しのためにやっている側面もあるのだけど・・・

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縫い始めは”BURDA MODEN”か”BURDA INTERNATIONAL”を使っていた。
Internationalは季刊で、欧州のとてつもないデザイナー様のパターンを惜しげもなく掲載。
本誌にはインタビュウ記事もあったので、タイアップ企画満載だったのかもしれない。
Modenは月刊誌で、もちろん今なお続いているから書店で立ち読むこともある。

読み始めの頃に買っていた月刊誌の巻頭には創始者Aenne Burdaのコラムがついていた。
大抵は読者のかたからのお手紙に応える内容。

内紛で居住地を追われた主婦が仮の住まい先から書いているらしい手紙。
政情不安な状況下で、レースのスリップなどは街の洋品店からも姿を消した。
キオスクスタンドで見つけたBURDAを読み、これさえあれば生地を手に入れて
自分の着たいものをこしらえることができる・・
できたらスリップの型紙をつけてくれませんか?
こういうお願いを受けて、「今月号にはつけましたよ、縫ってみてね」と返答。
どこかのキャンプで縫う人も、
極東の島国で縫ってるわたしもおんなじパターン触ってるのかあ、と思うと感慨深い。

「縫うこと」はただの「ちゃらいおままごと家事」ではないのだなあ、と思わせる内容だった。
当時はわたしも労使紛争に関わる状況下にあり、
どちらかといえば「武士は食わねど高楊枝」を気張ってアピールしておきたい時間でもあった。
「日暮里・店頭均一・着分500円」の生地を使って
欧州のとてつもないデザイナー様のパターンでスーツを縫うって、
何とヒトを食った仕事でしょう。こりゃ面白い!
あげくのはてには、前述のコラムの延長で掲載された水着のパターンも試した。

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まあああああね、明治生まれの祖母が何でも材料からこしらえる現場は事あるごとに見ていたし、
それほど突然変異という意識もない。

労使紛争下、ひたすら気張ったツイードのコートなんかを新調したのを目ざとくみつけては
生地の裾をぎゅっと握って
(やばい、なんか言われそう!)
「いい羊毛だねえ。裏地が少しツレてるのさえ直せばもっとかっこよく仕上がるよ」
などとサクッと言う祖母であった。
「うううう~、これ夕べ3時までかかってやったのにぃ」
とブツブツいうと
「そこで見栄えは決まるんだから。焦ってやったってしょうがないでしょ」
それ以上のコメント無し、で
なぜわたしがいきなりコートを作り始めたのかという事には触れようとしなかった。

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積読/未裁断の生地どもは、この当時からのいわゆる「負の遺産」に近いのだけど、
(いやに気張った立派な生地が多いのはそのせい。)
労使紛争もなく祖母が裾をチェックするわけでもない「今ここ」で生地どもをどうするのか??
これが今の「縫う」を「かんがえる」の基本。

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あああ、何と長文なこと。

気が向いたらまた。